アメリカの人種差別もうそろそろ廃止では
今までは1週間~10日間に起きた出来事で、特に顕著な問題をFox RadioやKABC radio を通して得たNewsを要約してきたが、今後は、英語で英語力向上のphraseを文章と共に挙げてゆく。また専門のヘリ体験談に移ります。たとへばOn another note, outside of love he shares for his family, he put his energy in his line. ところで、彼が家族の為に注いでいる愛情を別とすれば、彼は自分の仕事に専念している。 outside of lover he shared for his familyの構文が理解できなければ約せない。など生きた英語を列挙してゆく。英語上達は、聞く力、文章速読、文法理解、これを一瞬に行うことです。
それにしてもこの2週間アメリカはフロリダで起きた、一人の黒人少年とそれを射殺した青年(メキシコ人と白人の混血)の裁判に揺れた。テレビ、新聞、その他あらゆるマスコミ媒体が連日この問題を報道した。特に各ラジオ局は一般国民を巻き込む形で電話討論に参戦させた。裁判開始からの1週間(16時間余)に検察、弁護側の応酬、警察官、検視官、を含む多数の証人達の証言など裁判報道の行方に従い、キャスターが有罪か無罪かを国民に問うのである。Internet radioで聞いている私もついつい引き込まれ、特にFox radioを聞いていた。
アメリカでは黒人が白人に射殺された場合、逆に白人を射殺した場合(殺害した場合)でも、人種問題が提起され事件が大きくなる。例の有名元フットボール選手O.J.Simpson事件、明らかに彼が犯人なのに、すったもんだの後、無罪判決。彼が妻とそのboyfriendを殺害したのだ。
今回の件は 黒人少年Trayvon MartinがフロリダのSanfordという町でと自警団の一人であるGeorge Zimmermanという30歳の青年に射殺されたのである。Martinと言う少年が雨の日の夜gate community (入口にgateのある地域)に入り歩いていると、それを不審に思っったZimmermanが車から降り、後をつけていると、その少年がZimmermanに殴りかかって来たので、射殺したという概要である。勿論そのような所に住める黒人少年ではなかったが、communityに住む里親の所に向かっていたのである。
今までのpatternと違うのは、今回は黒人とHispanic系の青年の問題であるが、やはり黒人射殺問うことで社会問題化したのである。当初警察は青年Zimmermanの言い分を認め彼を逮捕しなかったが、世論が沸騰、警察topも交代させられ。人種差別(racial discrimination)が絡む事件だと必ずこのような展開になるのがアメリカだ。司法省、Obama大統領まで介入する始末だった。(この事件発生は昨年2月とか)。そこで当地の警察topも解任させられ、検察官が選ばれ、陪審員6名が選任され裁判が始まったのだ。陪審員6名は、裁判を考慮してか5名の白人と一人のHispanicとか(氏名、顔写真とかは一切公表されず)。
1:争点はZimmermanの正当防衛か、武器の使用は適切か
2: 黒人少年が殴りつけ横転したZimmermanに上方からMMAスタイルで押さえつけ殴りつけて いたのか
3:拳銃はどの時点で、どの位置から発射されたのか
4:少年を尾行するZimmermanは911で警察に電話をいれているが、警察が彼に指示した以上 の行動を とったのはなぜか(above and beyond the instruction), Zimmermanは何か手 柄を立てたかったのでは ないか?
などが警察官、検視官、目撃証人、黒人から電話をうけたgirlfriend, 原告・被告の家族など証言がつづいた。結果陪審員の判決(verdict)は無罪(acquittal)であった。
勿論、その判決をめぐり再び論争が勃発している。少年、青年共々おぞましい事件を回避できなかったものか?Zimmermanはむしろこういう事態を望んでいたのではないか、Zimmermanは今後後ろを振り向き振り向き歩き生きねばならない、彼は必ず殺される等、等。法務省は無罪となったZimmermanに何か別の罪を検討しているとか。
でもおかしいですね!Obama大統領の出身地Illinois州、南部では父親のいない少年達がすごい数、殺し合いをしているのに全米の問題にならない。それなのに一人の黒人でも白人、或いは他の人種に殺されると、超社会問題になる。既にCaliforniaでは白人割合は50%を切った。将来白人は全米で少数民族となってゆく。Hispanicが急激に増えている。こうした事情を考えるとアメリカはいつまでもracial discrimination政策を掲げていいものだろうか・・と私は思う。